なぜ霞が関は「給付」には寛容で、「減税」には頑なに抵抗するのか

減税

なぜ霞が関は「給付」には寛容で、「減税」には頑なに抵抗するのか。表向きの説明はいつも財政規律である。

だが2020年の一律10万円給付は12.8兆円、消費税率にして5パーセント分に相当する。それを通した官庁が、その半分にも満たない消費税減税には全力で抵抗する。財政規律を本気で言うなら、まず削るべきはイレギュラーな単年度の裁量的支出のはずだ。

違いは金額ではなく性質である

給付は補正予算の決議一本で完結し、誰にいくら配るかを毎回役所が決められる。だから裁量はむしろ太る。減税は法改正を伴い、恒久的な歳入減として永続的に書き込まれ、制度として自動的に効く。そこに役所の出番はない。

恐れられているのは赤字の大きさではない。赤字が自らの裁量の外に出て固定されることである。

しかもこの違いは、国家と国民の関係そのものを変える。給付は「配る側」と「配られる側」を作る。国民は要件を証明し、申請し、審査を待つ立場に置かれる。減税に、その関係はない。誰の許可も名簿も要らず、自分の稼ぎが手元に残るというだけのことだ。

給付付き税額控除という装置

その本質が出るのが給付付き税額控除である。名称の上ではこれも減税だが、税率構造には一切手を触れない。消費税率は10パーセントのまま温存され、控除額も所得制限も毎年動かせる。

そして誰にいくらの所得があるかを行政が把握し、受給資格を判定する。マイナンバーと国税の情報基盤は、そのための装置になる。しかも逆進性対策を先に備えれば将来の増税への抵抗は下がる。減税の顔をした増税の地ならしにもなりうるのだ。

「一度下げたら戻せない」も正確ではない。1999年の定率減税は2006年に半減、2007年に全廃された。現に戻せている。ただし直後の参院選で負担増が争点の一つとなり、与党は惨敗した。有権者は負担増を罰したのである。

恐れられているのは、国民の判断そのものだ。

家計への効き目で並べ直す

ここまでは役所の側の理屈である。家計への効き目で並べ直せば、順位はそっくり入れ替わる。

2020年の給付で消費に回ったのは3割前後にとどまった。いったん取り上げた金を手間をかけて返し、大半は消費に向かわなかったということである。

景気が過熱しているならいざ知らず、いまの物価上昇はコストプッシュ型だ。食料品の消費税ゼロに必要な財源は年5兆円弱、あの給付金の半分にも満たない。

自分の稼ぎをどう使うかを決めるのは、役所ではなく本人である。いま必要なのは、消費税を減税する決断だ。

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